2017年の全英オープンでジョーダン・スピースに逆転負けを喫したのがマット・クーチャーです。今回は、そのクーチャーが「球聖ボビー・ジョーンズの再来だ」と呼ばれていたころのお話です。
「球聖ボビー・ジョーンズの再来」と呼ばれたマット・クーチャー
かつて日本では、石川遼が中学生にしてプロの大会で優勝し、空前の遼くんブームが巻き起こりましたが、ゴルフの本場アメリカでは、それに似た現象がずっと以前から何度も起こっていました。
ジョージア州アトランタにあるジョージア工科大学の1年生だったマット・クーチャーが、1997年の夏に全米アマチュアを制したとき、アトランタの人々はクーチャーを「球聖ボビー・ジョーンズの再来だ」と呼んで、もてはやしました。
球聖ボビー・ジョーンズはアマチュアにしてグランドスラムを達成し、あのマスターズを創設したゴルフ界のレジェンドです。生涯アマチュアを通したジョーンズは数々のトロフィーをアトランタに持ち帰ったため、地元の人々はクーチャーをジョーンズになぞらえ、祝福したのです。
空前のクーチャー旋風のなか実現した単独インタビュー
その後、クーチャーが翌年のマスターズや全米オープンに出場して大活躍すると、アトランタの人々だけではなく、全米の人々が彼をもてはやしました。
「すぐにプロ転向したらクーチャーは破格のスポンサー契約が得られる」とメディアは書き立て、アメリカのゴルフ界には空前のクーチャー旋風が吹き荒れ始めました。
私がクーチャーの自宅を訪ねたのは、そんな旋風の真っ只中。ゴルフ界の最もホットな人物の家で単独インタビューができることは、ゴルフジャーナリストとしては胸が高鳴る出来事でした。
なぜ、それが叶ったのかと言えば、クーチャーが優勝した全米アマチュアの開幕前、彼が優勝する以前に声を掛け、すっかり仲良しになっていたからです。声を掛けた選手がそのまま優勝したことは、私に先見の明があったというよりは、たまたま起こったラッキーな出来事だったのかもしれません。
しかし、ビッグスターと化したクーチャーが、それでも私を忘れずにいてくれて、取材のリクエストを受けてくれたことは、とても嬉しいことでした。
マット・クーチャーが語った母親メグとの思い出話
彼の自宅を訪ねての単独インタビューで、クーチャーはまったく気取ることなくフレンドリーに何でも話をしてくれて、全米アマチュアの優勝トロフィーも惜しげもなく披露してくれました。
全米アマチュアやマスターズ、全米オープンに出場したとき、クーチャーのバッグを担いでいたキャディは、彼の父親ピーターでした。ピーターはかつては全米屈指のテニスプレーヤーだったそうですが、この日は不在で会えませんでした。
クーチャーの母親メグのことを、アメリカのメディアは「元スーパーモデル」と報じていました。実際に会ったメグは、その通り、とてもキレイでしたが、身長は私とあまり変わらないぐらいの小柄で、それが少々意外でした。
クーチャーにインタビューをしていたとき、母親メグは「はい、どうぞ」と言って、コーヒーや紅茶を次々に振る舞ってくれました。「お母さんは元モデルだったのですか?」と尋ねると、クーチャーは母親に聞こえないぐらいの小声で、「モデルと言っても、スーパーのチラシのモデルだったんだけど、なぜかスーパーモデルのように報道されている」と言って苦笑していました。
しかし、そのあと彼が明かしてくれた母親との思い出話は、まさにクーチャーを勝利へ導いた驚きの秘話で、この母親がいたからこそ、この息子の成功があったのだと納得させられたのです。
文/舩越園子(ゴルフジャーナリスト)