多くのゴルフ場は人里離れた山の中にありますが、そんな場所に巨大なクラブハウスが突然現れてビックリすることがあります。ゴルフ場のクラブハウスは、なぜあんなに豪華な建物なのでしょうか?
クラブハウスは会員を集めるためのシンボルタワーだった
ゴルフ場のクラブハウスは豪華な建物が多いです。なぜ山里の中にあんなに大きな建物を造ったのだろうと思います。その理由を語るには、日本のゴルフ場開発の歴史までさかのぼらなければなりません。
日本に最初のゴルフ場ができたのは1901年。イギリスから日本にやってきて貿易商を営んでいたアーサー・ヘスケス・グルームが、兵庫県の六甲山に4ホールを造ってゴルフを始めました。
この施設を9ホールに増設し、1903年5月24日に開場始球式を行いました。これが日本最古のゴルフ場・神戸ゴルフ俱楽部です。1904年に18ホールが完成し、現在も当時の趣を残したまま同じ場所に存在しています。
それを見て面白そうだと思った日本人たちが、全国各地にゴルフ場を造り始めました。しかし1914年に第一次世界大戦が起こり、1939年には第二次世界大戦が始まりましたから、ゴルフはそんなに普及しませんでした。
日本で最初のゴルフブームが起こったのは1957年でした。カナダカップ(ゴルフの国別対抗戦)を誘致し、東京オリンピック2020の試合会場にもなった霞ヶ関カンツリー俱楽部(埼玉県)で開催したところ、個人戦で中村寅吉が優勝し、団体戦でも中村と小野光一のペアが優勝しました。この試合がテレビで放映され、多くの人がゴルフの面白さに気づきました。
日本のゴルフ場は当時、ほとんどの施設が会員制のメンバーシップ運営でした。新しいゴルフ場をどんどん造ろうという時代になったとき、造る前から会員を集め、預かり金方式の会員権を販売し、その預かり金を原資にコースの造成とクラブハウスの建設を行うという手法が取られました。
会員を多く集めるため、会員権を高く売るためには、コースとクラブハウスを立派に見せるのが手っ取り早い方法でした。高度経済成長が加速するにつれ、会員募集のパンフレットに掲載するクラブハウスの完成予想図はどんどん豪華になっていきました。
豪華なクラブハウスは会員を集めるためのシンボルタワーだったのです。
建て替えたいけど建て替え費用がない
ところが1990年代に入って日本経済の成長が止まり、バブルが崩壊するとゴルフ場の会員権市場が大暴落しました。退会希望者が続出し、ゴルフ場は集客減と資金繰りに苦しむようになりました。
豪華なクラブハウスを建設したゴルフ場ほど、大金をかけて施設を造っていますから資金が残っていません。2000年に民事再生法が施行されると、法的整理を受ける施設が相次ぎました。
でも、豪華なクラブハウスを取り壊して質素なクラブハウスに建て替えるにも、それなりのお金がかかります。経営交代して新しいオーナーが潤沢な資金を持っている施設は、老朽化したクラブハウスを取り壊して新しいクラブハウスに建て替えましたが、それができない施設もたくさんあります。
ゴルフ場のクラブハウスの耐用年数は約50年と言われています。そして日本のゴルフ場の多くは30~50年前に造成されています。建て替えたくても建て替え費用がなく、必要最低限の耐震補強を行いながら、何とか長持ちさせている施設もあるようです。
文/保井友秀