昨日まで日本初となる欧州との共催トーナメントが茨城県で行われていました。日本人選手にとって世界を感じる格好のチャンスですが、そこで目の当たりにするのが彼らの飛距離です。今回は、これまでPGAツアーに挑戦し、そこで感じる飛距離の差と葛藤し続けた丸山茂樹選手のお話です。
PGAツアー参戦当時は飛ばし屋の部類に入っていた丸山
アメリカや世界のゴルフ界に初めて足を踏み入れた日本人選手やアジア人選手の大半が、欧米人選手のパワフルなショットに目を見はり、「自分ももっと飛距離を伸ばさなければ」と感じることは、ある意味、自然の成り行きです。
そして、そう感じた選手の多くが飛距離を伸ばすためのスイング改造を開始し、それが発端となって、せっかくの持ち味だったショットの正確性や自信を失いスランプに陥るという現象は、これまで何度も見られました。日本の宮里藍もそうなった1人でした。
一方で、アメリカの男子ツアーで通算3勝を挙げた丸山茂樹は、飛距離アップに端を発する負のスパイラルに、ほとんど陥らなかった代表例です。
丸山選手が米ツアー参戦を開始したばかりの2000年代序盤、彼が日本から持参したブリヂストン製のドライバーの開発技術は世界最先端を走っていました。そのおかげで、驚くなかれ、当時の彼は、アメリカツアーでも屈指の「飛ばし屋」に位置付けられていたのです。
道具の進化で飛距離が伸びても自らのスタイルは崩さなかった
しかし、世界中で用具の開発合戦が進み、アメリカツアーの他の選手たちも先端技術を駆使して製造された「飛ぶドライバー」を手にし始めると、小柄な丸山選手はあっという間に「飛ばない選手」に分類されるようになりました。
しかし、彼はその現実を冷静に見つめ、「大柄な欧米人選手たちがダンプカーなら、小柄な僕は軽トラみたいなものだから」と自ら語り、体格の差による飛距離の差を受け入れていました。その代わり、彼は飛距離不足を補うための小技をとことん磨きました。
丸山選手が「米ツアー屈指のウエッジの名手」と呼ばれ、タイガー・ウッズ最強時代のアメリカツアーで通算3勝を挙げることができた背景には、そんな丸山選手ならではの「らしさ」の見極めがあったのです。
文/舩越園子(ゴルフジャーナリスト)