2021年が始まったころは世界ランキング168位で無名の存在。しかし、5月に米ツアーで初優勝、翌2021-2022シーズンに3勝を挙げ、一躍スターになったのは米国人のサム・バーンズという選手です。今回はそんなサム・バーンズとお母さんに関するお話です。
どうしてもフットボールをやらせたかった母親の突飛な提案
サム・バーンズの武器はパットの上手さですが、彼のパットの上手さが醸成されたのは、彼の母親の肝っ玉のおかげだと聞いて、「なるほど」と頷かされました。
ルイジアナ州で生まれ育ったバーンズは幼いころからフットボールをやっていました。しかし、日本の中学2年生にあたる8年生になったとき、自分がやるべきスポーツはゴルフだと確信し、「僕、フットボールをやめて、ゴルフをやりたい」と母親に告げたのですが、母親は仰天し、「ダメダメ。フットボールをやりなさい」と即座に否定。
というのも、バーンズの父親も兄もフットボールをやっていたため、母親はただ単純に「フットボールこそが、やるべきスポーツだ」と思い込んでいたのです。
しかし、息子は「どうしてもゴルフをやりたい」と言い張り、どうしても息子にフットボールをやめさせたくなかった母親は、こんな取り引きを思い付きました。
「それじゃあ、裏庭にゴルフの練習グリーンを作ってあげる。だから、あと1年だけフットボールを続けるっていうのは、どう?」
それを聞いて、今度は父親が「練習グリーンって、どんな?」と尋ねました。すると母親は「ご近所のデビッドの家にあるグリーンみたいなもののことよ」と答えました。
デビッドとは、同じルイジアナ州出身で2001年全米プロを制覇したデビッド・トムズのこと。メジャー・チャンピオンが自宅に備えている練習グリーンといえば、高額をかけて造った本格的なグリーンです。それと同じものを、息子にフットボールを続けさせるために造るという突飛な提案に父親は「そんなお金はウチにはない!」と猛反対しました。
しかし、この出来事こそが、パットの名手バーンズの誕生秘話となっていったのです。
奇跡のような偶然がパットの名手を育てることになった
「あのときの母の提案は、本当に滅茶苦茶だった」と、バーンズは今では苦笑しながら振り返っています。しかし、その当時は、「滅茶苦茶な話だったけど、とにかくゴルフができることを僕は喜び、母の提案に乗ったんだ」と明かしました。
「母さん、わかったよ。それじゃあ僕は、あと1年、昼間はフットボールの練習を続け、夜、家に帰ってきてからは裏庭の練習グリーンでパットの練習をするよ」
息子がフットボールを続けると聞いて、母親は「とにかく良かった」と安堵し、バーンズ家の騒動は、これにて一件落着しました。
「えい!やー!」という母親の提案で作られた練習グリーンで、バーンズはそれから毎日、パットの腕を磨きました。だからこそ、米ツアー選手になった2019年以来、彼はパットのランキングで常に上位入りするほどの名手となり、その武器を生かして今年2勝を挙げ、トッププレーヤーの仲間入りを果たしたのです。
フットボールだけがスポーツだと思っていた母親が、近所に住む全米プロ覇者、デビッド・トムズとたまたま知り合いだったこと、彼の家の裏庭に立派な練習グリーンがあることを知っていて、「同じものを作ってあげる」と息子に提案したことは、奇跡のような偶然でした。
しかし、高価な練習グリーンを作る決断を即座に下した母親の度胸と勇気と肝っ玉は見上げたもの。「母は強し」は、永遠に万国共通なのでしょうね。
文/舩越園子(ゴルフジャーナリスト)