今から約12年前。2011年のマスターズに初出場した松山英樹選手は、そのわずか1か月前に起こった東日本大震災の被災地からやってきた大学生ゴルファーという意味で、とりわけ欧米のメディアから大きな注目を集めていました。ただ、開幕前から熱い視線を浴びていた理由は、それ以外にもありました。今回は松山選手が初めてマスターズに出場したときのお話です。
アジアアマチャンピオンとして世界中が松山を注目
松山選手は、その前年に開催されたアジア・アマチュア選手権で優勝した資格でオーガスタ・ナショナルへの切符を手に入れたのですが、そのアジア・アマチュア選手権はまだ創設されたばかりで、彼は第2回大会の勝者に輝いてマスターズ初出場を果たしたのです。
>>しゃべらない男・松山英樹を作り上げたのは強さへのこだわり
優れたヤング・ゴルファーは、きっとアジアにもいるはずで、そんなアジアの若き可能性を発掘し、伸ばし、そしてゴルフというゲームをアジアにももっと広げていこうではないか。そんな意図で創設されたのがアジア・アマチュア選手権であり、その大会を制覇してマスターズにやってきた松山選手とは、一体どの程度のゴルファーなのか、しかと拝見しようではないか。そういう興味と関心があのときの松山選手に向けられていたのです。
だから開幕前の会見では、欧米のメディアから矢継ぎ早に容赦ない質問が浴びせられ、松山選手の反応が試されていました。固い表情のまま、身じろぎもせずに会見を終えた松山選手は、しかし屋外に出た途端、明るい笑顔を輝かせて練習を始めたのです。憧れのオーガスタ・ナショナルの土を踏みしめながら練習できることは、それだけでも幸せなのだと彼の表情が言っていました。
オーガスタ・ナショナルのバック9には、アーメンコーナーと呼ばれる難所があります。過去のマスターズで大勢の選手たちを泣かせた難所です。しかし、練習ラウンドを終えた松山選手は「アーメンコーナーって、どこが難しいのかな?」と、ちょっぴり得意げな顔で笑っていました。あのときの松山選手は、そんなふうに無邪気で、自信満々な大学生のマスターズが始まりました。
まさか表彰式に出られるとは思っていなかった松山英樹

2011年のマスターズ初日。19歳の大学生のアマチュアながら初出場していた松山英樹にとって、初めて味わうマスターズの実戦は「きっと緊張しすぎて震えあがるのではないか」「体が硬直してスイングできなくなるのではないか」。周囲はそんな想像を巡らせていましたが、初日のラウンドを終えた松山選手は、ケロっとした顔で、こう言ったのです。
「緊張は無かったです。まっすぐ打ってやろうという気持ちだったけど、バンカーに入っちゃった。しょうがない。下手くそだから」。そう言って、松山選手は陽気に笑っていました。
2日目も奮闘し、見事、予選を通過。3日目が終わったとき、「このまま頑張れば、ローアマになれるかもしれないね」と声をかけると、松山選手は「そういうことは全然気にしてないです」と、ちょっぴり語気を荒げながら遮りました。
ローアマとは、ローエスト・アマチュアのこと。出場しているアマチュアの中で、ローエスト・スコア、つまり最もいいスコアで回り切ったアマチュア選手に授けられる、いわばアマチュアの最優秀賞です。
マスターズでローアマに輝いた選手は、マスターズを制してグリーンジャケットを羽織ったチャンピオンと並んで表彰式に出席します。それは、アマチュア・ゴルファーとしては、このうえない栄誉なのですが、実を言うと、私が「ローアマになれるかもね」と声をかけたとき、松山選手はその栄誉をまだ知らなかったのです。
彼に付き添っていた東北福祉大学ゴルフ部の阿部監督は、「あのときは、ローアマって言葉だけは知っていたんですけど、まさかあの表彰式に出るなんてことまでは知らなかったんですよ、僕も松山も」と明かしてくれました。
しかし、あのマスターズ最終日の終了後、その「まさか」は現実になったのです。
文/舩越園子(ゴルフジャーナリスト)