どんなスター選手にも無名時代がありますが、その選手を初めて取材したときのことは、取材する側は意外と覚えているものです。今回は、舩越さんがローリー・マキロイに初めて接した時のお話です。
石川遼の近くで練習していた若き日のローリー・マキロイ
北アイルランド出身のローリー・マキロイは、すでにメジャー4勝を挙げたスター選手ですが、彼が初めてアメリカツアーの試合に出場したとき、彼の輝かしい未来を想像していた人は、決して多くはありませんでした。
あれは2009年の世界選手権シリーズ、アクセンチュア・マッチプレー選手権の練習日のこと。日本の石川遼は、出場が決まっていない補欠だったのですが、それでも彼は会場入りし、出場に備えて練習に精を出していました。当時は「遼くんブーム」の真っ只中。石川選手の周りには大勢の日本人メディアがひしめき合っていました。
石川選手が練習場で1時間も2時間も球を打っていたとき、2つほど前の打席に見慣れない若者がやってきて、ひっそりと球を打ち始めました。
髪の毛がクリンクリンとカールしていたその若者は、あどけないというより、素朴な雰囲気。彼のそばにはコーチのような中年男性が立って見守っていました。
マキロイ親子と初めて接した日
あの選手、誰なんだろう?興味を覚えた私は、そのカーリーヘアの若い選手の打席へ近寄っていきました。すると、私に気付いた中年男性が笑顔で右手を差し出してきました。
「ハーイ!私はゲリーです。ローリー・マキロイの父親です」
そしてゲリーは息子に向かって「ローリー。この人はジャパニーズのメディアだよ。挨拶しなさい」。マキロイはクラブを振る手を止めて「ハーイ。僕、ローリーです」と、ちょっぴり照れくさそうに挨拶してくれたのです。
それが、私がマキロイ親子と初めて接した日。そのときマキロイ親子の周囲には、私以外にメディアは1人もおらず、のちに彼がメジャーチャンピオンになり、スター選手になる未来を、そのとき予想していたメディアは皆無だったのです。たまたま、その場に居合わせた私だって、そんなことは想像もしていませんでした。
しかし、その試合でベスト8入りしたマキロイは、あっという間にスターダムを駆け上がっていったのです。
「何かを学びさえすれば、負けは必ず勝ちに変わる」
2009年にアメリカツアーにデビューした北アイルランドのローリー・マキロイは、2010年に初優勝を挙げ、欧州ツアーでも初優勝。彼のメジャー初優勝は時間の問題と思われていました。
2011年4月のマスターズは、マキロイの初優勝に期待が集まり、マキロイ自身も自信満々でオーガスタ・ナショナルに乗り込みました。しかし、彼の傍らには、いつも必ず一緒だった父親ゲリーの姿がなく、その代わりに彼のそばにいたのはマキロイの幼馴染みの恋人でした。マキロイが母国から連れてきた数人の友人たちの姿もありました。
マキロイはオーガスタ・ナショナルのそばの民家を借りていて、彼と恋人、それに彼の友人たちも皆、その民家に滞在していました。しかし、その民家の周囲に住む住人たちからは、「マキロイたちが毎晩、サッカーボールを蹴って遊んでいて、うるさい」などという苦情が、毎晩のように寄せられていました。当時のマキロイは、自信過剰で傍若無人。いや、まだ20歳そこそこの若さゆえに、怖いもの知らずだったのかもしれません。
そんな彼の姿勢をそのまま反映するかのように、マキロイは試合でも勢いよくスコアを伸ばし、単独首位で最終日を迎え、初優勝に迫っていました。イケイケの若者が、その勢いのままマスターズを初制覇するのだろう。誰もが思っていた矢先、マキロイは後半にまさかの大崩れで80を叩き、15位タイに甘んじたのです。
その夜。民家の部屋に1人きりで閉じこもっていたマキロイが、真夜中に電話をかけたのは、母国でテレビ観戦をしていた父親ゲリーでした。父親は傷ついた息子に、こう言ったそうです。
「何かを学びさえすれば、負けは必ず勝ちに変わる」
マキロイが全米オープンを制してメジャーを初制覇したのは、それから2か月後のことでした。
文/舩越園子(ゴルフジャーナリスト)