日本でも人気の高いリッキー・ファウラーですが、本当の一流選手は負けた時の所作さえも格好いいと感じさせられたお話です。
松山英樹の優勝に沸いていた日本メディアの傍らで
2016年2月。アメリカで絶大なる人気を誇るリッキー・ファウラーをプレーオフで下し、フェニックス・オープンで優勝した松山英樹を、私たち日本メディアが囲んで取材していたときでした。
私たち日本人集団のすぐそばに、選手たちのロッカールームへとつながる階段があり、よりによって松山選手との激しい優勝争いに敗れたばかりのファウラーが、松山選手の囲み取材をしていた真っ最中に、その階段のそばにやってきて、階段を昇り始めたのです。
私は松山選手の顔と自分の手元のメモ帳に交互に目をやりながら、傍らで階段を昇るファウラーの動きや表情が気になり、視線をあちらこちらへ向けていました。
もしも私がファウラーの立場だったら、自分を打ち負かして勝利した選手が優勝インタビューをされている場所には絶対に近寄らないなと思いました。
そんな場面は見たくもない。私たなら、きっとそう思うだろうなと思いました。
負けてもカッコ良すぎます
だから、その場にファウラーがやってきてしまったことは、彼にとっては、とんでもなくタイミングの悪いことだと感じられ、私は内心ひやひやしていました。
しかし、階段を数段上ったところでファウラーは突然足を止め、松山選手の頭上から、こんな言葉を投げかけたのです。
「ヒデキ、またやろうな」
それは、自分は負けたけれど、いい戦いだったから、そういう戦いをさせてくれたヒデキともう一度戦いたいという意味が込められているのだと、私は即座に感じました。
そして、「またやろうな」という言葉は、松山選手と競い合ったファウラーだからこそ口にすることができる、松山選手への最高の祝福でした。
うわー、カッコいい――。しばし私は目の前の松山選手に質問することを忘れて、ファウラーの「またやろうな」の余韻にひたっていました。
文/舩越園子(ゴルフジャーナリスト)