ドライバーが昔は柿の木で作られていたことを知っていますか?【舩越園子 ゴルフの泉】

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写真:Shutterstock

最近は日本でもヒッコリークラブを使った、いにしえのゴルフスタイルを楽しむイベントが盛んになっていると耳にしますが、その昔ゴルフのウッドクラブは、文字通り木でできていました。今回は、懐かしいパーシモンウッドに関するお話です。

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クラブの進化とともに消えゆく名器

 ウッドクラブで使われる木は柿の木と決まっており、柿の木は英語でパーシモンと呼ばれるため、柿の木で作られたドライバーは「パーシモン・ドライバー」と呼ばれていました。

 しかし、1990年代の中ごろにはパーシモン製のクラブは金属製のメタルクラブに取って代わられ、アメリカツアーの選手たちも、みなパーシモンをメタルクラブに持ち替えていました。

 ところが、2000年代に入ってからも、アメリカツアーの会場に自ら製作したパーシモン・クラブを持ち込んで選手たちにアピールしている人物がいました。

 その男性の名前はジェームズ・ニーリー。

 彼は18歳だった1970年代に愛用していたパーシモン・ドライバーを修理に出したら「直せない」と言われ、それなら自分で直そうと思い立ったことがきっかけで、パーシモン・ドライバーのトリコになったのだそうです。

1996年マスターズでパーシモン・ドライバーを使うデービス・ラブ3世 写真:Getty Images

タイガーも絶賛したパーシモン・ドライバーの美しさ

 以後、世界一美しいドライバーを作ろうと試行錯誤を重ね、彼が作り上げたパーシモン・ドライバーは3000本を超えていました。

 「パーシモンは飛ばないとみんな思っているけど、それは世界的な誤解です。正確にボールを捉えるスキルがあれば、メタルクラブとの飛距離の差はほとんどないし、コントロール性はむしろ高いんです」

 ニーリーはそうやって私にも力説してくれました。

 ニーリーがパーシモン・ドライバーを並べていた一角を通りかかった選手たちの多くが、その場で足を止め、パーシモン・ドライバーを手に取って眺めました。デービス・ラブも、タイガー・ウッズも、「オー、いいドライバーだね」と笑顔を見せてくれました。

 しかし、試合でこれを使いたいと言った選手が1人もいなかったことは、時代の推移という現実をクールに物語っていました。やがてニーリーは試合会場から姿を消していきました。

 そうした出来事のすべてが歴史の一コマなのだなと、私はひっそり感じていました。

文/舩越園子(ゴルフジャーナリスト)

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