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馬場咲希選手 写真:Getty Images

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特待生を集めたもうひとつの「多摩キッズ」とは~馬場咲希が巣立った「多摩キッズ」~【小川朗のゴルフ深堀り!】

2022.09.14

多摩ヒルズゴルフコースの呼びかけに応じて多摩市が協力してスタートしたゴルフ教室が軌道に乗ると、その中から「プロゴルファーを目指したい」という子供も出現する。そこで10人以上のボランティアチームも組織され、特待生を集めたもうひとつの「多摩キッズ」が動き出す。(4回シリーズのその2)

駅前商店的なゴルフ教室から生まれた馬場咲希というゴルファー

多摩キッズのメンバーたち 写真提供:藤井誠さん
 

 多摩キッズには、3つの約束事もあった。

 ① 大きな声であいさつをする(アメリカ人に会ったときには英語であいさつ)。

 ②ゴルフ場のルールを守る(練習場でほかの人が打席に入っているときは黄色の線の中に入らない)。

 ③道具を大切にする(借りているクラブはもちろん、自分のクラブも大切にする。クラブは最終日にきれいにして返す)
 
 スタートしてみると、改善点も出てきた。

 「最初のクラスが始まった時にまず、気づいたのが親の存在。打席でボールを打ち出した子供が、いちいち親の目を見るのです。親は自分の子供を常に見ていますから、子どもがちらりと見るたびに目が合うのです。良い影響もあるでしょうが、良くない影響の方が多いと判断し、親は送り迎えだけにして、子どもたちの目の届かないところに行ってもらいました。この効果はテキメンでした。自分自身とゴルフクラブ、ボールに神経が行くようになりました。さらに周りの仲間にも目が行くようになります。2人で5球ずつ、交互に打ちますから、待っている間、友達のショットを観察したり、激励をすることができるようになりました」(藤井さん)。

 2005年は、7月2日から毎週土曜日、休みなしで12月17日まで。各回10人、延べ69人が参加した最初の半年が終わった。参加した子供たちや保護者からも、また参加したいという声が続出する。

 「子供たちを教えることがこんなに楽しく、エキサイティングであることを知らなかった」。藤井さんの生活は、多摩キッズの行われる「土曜日の午後を中心に仕事が回っている感じ」になっていく。

黄色のベストを着て活動するボランティアの方々 写真提供:藤井誠さん
 

 2年目に入ると2人の小学生が「プロゴルファーになりたい」と直訴し、藤井さんのもとでトレーニングを開始した。ボランテイアの志願者も10人を超え、組織化の見通しも立っていた。

 すでにこの頃、藤井さんは多摩キッズの小冊子にこんなことを書いている。

 「毎週、毎週やり続けていくという駅前商店的な発想で、子どものレッスンの機会が増えていけば最高です。将来、世界で活躍するゴルファーが多摩市から出てくるかもしれない。これは楽しみです」。

 それから17年目の夏。「多摩キッズ」出身の馬場咲希が、全米女子アマチュア制覇という快挙を手にすることになる。2005年4月25日に生まれた馬場は、この頃まだ1歳の赤ちゃんだった。

馬場咲希(前列中央)と多摩キッズのメンバー。後列中央が藤井さん、後列右端が村本さん 写真提供:藤井誠さん
 

多摩キッズの“育ての親”村本達也さんの参加

 スタートから1年あまりが過ぎた2006年の8月28日。「横田基地の子どもたちと多摩市の子どもたちの交流ゴルフ会(TAMA KIDS GOLF)」が開かれた。

 横田基地勤務の親を持つ子ども40人と、多摩市の子ども11人が参加。日本人の子ども1人に横田基地の子ども3人が一組となり、ショットガンで4~5ホールをラウンドした。

 ゴルフの楽しさやルールを共に学び、午後にはバーベキューパーティーで交流が図られた。これも多摩キッズでなければできないイベント。日米親善という最初の目的が果たされたイベントとも言えた。

ラウンドする多摩キッズのメンバー 写真提供:藤井誠さん
 

 初期のボランティアのメンバーの中に、この年、日本ブログ大賞ホビー賞を受賞するイラストレーターのA子さんも含まれていた。その縁でボランティアとして参加することになるのが、A子さんの夫である村本達也さん。多摩キッズの生みの親である藤井さんをして、「私が環境作りをしたのは事実ですが、その芽をすくすくと育てたのは村本さんです」と語るほどの功労者だ。

 「生まれは千葉で、紫CCのすぐ近くです。ゴルフ歴は藤井プロより長くて、7歳くらいからピッチング(ウエッジ)1本を持って、庭先で始めました。それから細く長く、という感じです。初ラウンドは中学2年です。野田パブリックでした。この時100を切っているんです。中学は卓球部と陸上部を掛け持ちしていましたが、高校は帰宅部で勉強しかしていません。大学時代はテニスサークル。高校、大学とクラブを握っていなくて、2回目に100を切ったのは30歳くらい(笑)。県アマとかも全然出ていません」(村本さん)という経歴ながら、多摩ヒルズに関わるようになると、最も熱心なボランティアとして多摩キッズを支えることになる。

村本さん(左端)と多摩キッズのメンバーたち 写真提供:藤井誠さん
 

 多摩市に加えて、噂を聞いて隣の稲城市もこの取り組みに参加するようになる。そうなると通常の3週間を終えた後、特待生コースへの志願者が増えていく。

 「3週間が終わった時に、『私はもっとやりたい』と、ゴルフをもっと突き詰めたい、という子どもがいるんです。それを全員引き受けるわけにはいかないんですけど、両親との協力体制が組めて、米軍に対しても感謝の気持ちを持ってここを使ってくれる人ならばということで、確か4人くらいに増えたと思う」(藤井さん)。

 ただ、この特待生クラスは多摩市や稲城市と横田基地の間が交わした契約には含まれていないもの。だが米軍サイドは協力的だった。「そこはもう、米軍の人たちのおおらかな気持ちの『いいよ、やりなさい』という中で進んでいきました」と、藤井さんは当時を振り返る。

 特待生クラスは、「10人くらいまで増えていきました」(村本さん)。ここから村本さんが、多摩キッズの“育ての親”としての本領を発揮していく。
                   
文/小川 朗(日本ゴルフジャーナリスト協会会長)

特待生を集めたもうひとつの「多摩キッズ」とは~馬場咲希が巣立った「多摩キッズ」~【小川朗のゴルフ深堀り!】

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