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マット・クーチャー(左)と両親(ピーター&メグ) 写真:Getty Images

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“遼くんブーム”より先に米国で巻き起こった“マット・クーチャー”ブーム(後編)【舩越園子 ゴルフの泉】

2022.07.15

大学1年生で全米アマチュアを制し、プロのメジャー大会でも大活躍したマット・クーチャー。ナイスガイでもあったクーチャーは、すぐに世間からもてはやされましたが、少年時代のクーチャーはゴルファーにあるまじき悪態をつくことがあったそうです。今回は、そんなクーチャーをナイスガイに導いた、母親メグの愛情こもった教育についてのお話です。

クーチャー少年が見せた悪態に対する母メグの対応は…

 1997年の全米アマチュアを制し、マスターズや全米オープンでも大活躍して一世を風靡したマット・クーチャーは、いつも穏やかな笑顔を讃えながらプレーしていて、その姿は、文字通り、紅顔の美少年。どこからどう見ても、マナーもエチケットもいいナイスガイ。だからこそ、あの当時、アメリカのゴルフ界ではクーチャー旋風が巻き起こっていたのです。

1997年全米アマチュアで優勝したときの“ナイスガイ”マット・クーチャー 写真:Getty Images
 

 しかし、クーチャーの自宅を訪ねてインタビューをしていたとき、彼の母親メグは、こんなことを明かしてくれました。

 「まだティーンエイジャーだったころのマットは、プレー中、自分のミスに腹を立ててはクラブを投げたり地面に叩きつけたりしていて、ある日、私はそんなマットが見ていられなくなり、あの子のクラブをゴルフバッグごと取り上げて隠したんです。あんな悪態をつく人間にゴルフをする資格はない。考えや態度をあらためるまで、ゴルフバッグは返さないと言い渡しました」

「もう2度と悪態をついたりしない」クーチャーをナイスガイにした母の教え

 それから1か月以上、クーチャーはクラブを握ることができず、その間、いろんなことを反省し、自分の言動がいかにひどいものであったかを悟ったそうです。

 「そして、母にお願いしたんだ。もう2度と悪態をついたりしない。マナーやエチケットを守り、ゴルファーとしてふさわしい態度を心掛けるから、僕のクラブを返してくださいってね」

 全米アマチュアで見たジョージア工科大学の1年生だったクーチャーは、すでにナイスガイへと成長したクーチャーだったわけです。プロになってからも、クーチャーの“いい人”ぶりは誰もが知るところで、その昔、彼にそんな過去があったことは誰も想像すらしないと思います。

 母親メグの愛情を込めた教育のおかげで、クーチャーはすばらしいプロになることができたのです。人に歴史あり、プロゴルファーに歴史あり。彼らのパーソナル・ヒストリーは面白いし、いろんな意味でためになります。

母メグ(右端)の愛情をこめた教育がクーチャーをナイスガイに(中央は父ペーター) 写真:Getty Images
 

破格の契約金を捨てたクーチャーの驚きの選択

 1997年の全米アマチュアを制し、プロのメジャー大会でも大活躍してビッグスターと化したマット・クーチャーが、いつプロ転向するのか、どんなスポンサーとどれほど破格の契約を結ぶのかに大きな注目が集まっていた1998年の終わりごろ、クーチャーは驚きの選択をしました。

 大手企業からたくさんの契約話が舞い込んでいたクーチャーが、あのときすぐにプロ転向をしていたら、何億円、いや何十億円という大金が一気に転がり込むはずでしたが、彼は大学をきっちり卒業する道を選んだのです。それはクーチャーの意志であり、父親ピーターや母親メグの希望でもあったそうです。

 クーチャーはジョージア工科大学を卒業後、証券会社に就職し、社会人生活を経験。1年後にプロ転向しましたが、成績はなかなか上がらず、かつてのビッグスターは忘れられた存在になっていきました。それでもクーチャーは二軍の下部ツアーでコツコツと腕を磨き、一軍であるアメリカツアーに到達したのは2001年でした。

 すっかり遅れを取った格好になったクーチャーでしたが、彼は焦りや怒りを見せることなく、いつも笑顔でプレーしていました。ティーンエイジャーのころ悪態をついて、母親メグから「そんな人間にゴルフをする資格はない」と諭された過去があったからこそ、クーチャーはプロになってからも、笑顔を絶やさず、ナイスガイであり続けることができていたのだと思います。

懐かしくもうれしい両親との再会

 トップ30だけが出場できる最終戦のツアー選手権に、クーチャーが初出場した2010年の秋。18番グリーン脇のインタビューエリアでクーチャーを待っていたら、どこかで会ったことがあるなと思える60歳代ぐらいの白人のご夫婦の姿があり、向こうも私を見つめていました。「あっ」と思ったら、向こうも「オー」と声を上げ、お互いに走り寄り、抱き合いました。

 それは、クーチャーの父親ピーターと母親メグ。10年、いや12年ぶりぐらいの再会は、お互いに涙が溢れるほど懐かしく、うれしいものでした。

文/舩越園子(ゴルフジャーナリスト)

“遼くんブーム”より先に米国で巻き起こった“マット・クーチャー”ブーム(後編)【舩越園子 ゴルフの泉】

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