「パパはユーチューバー」と思っていたタイガーの子どもたち【舩越園子 ゴルフの泉】

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タイガー・ウッズと息子のチャーリーくん 写真:Getty Images

タイガー・ウッズの息子・チャーリーくんがプレーする姿はよく、よくメディアにも登場します。今やいい父親の印象があるタイガーですが、かつてはタイガー自身もそんなことを想像すらできないほどゴルフだけに打ち込んでいました。今回は、そんなタイガーが、親子で試合に出ることを決めたきっかけについてのお話です。

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タイガー自身が親子で試合に出ることを想像していなかった

 2021年12月にフロリダ州オーランドで開催されたPNCチャンピオンシップは、交通事故で重傷を負ったタイガー・ウッズの「復帰戦」となり、ウッズの右足の回復ぶりと12歳の長男チャーリーくんとのプレーぶりに世界中の視線が注がれました。

 赤いシャツ、黒いパンツに身を包んだ最終日のウッズ親子は、出だしの3ホールで4つスコアを伸ばすと、7番から17番まで11連続バーディー獲得。ついに首位に並び、優勝に迫りましたが、2オンに失敗した18番(パー5)はパーどまりとなり、ジョン・デーリー親子に2打及ばず、2位に甘んじました。

 勝利を逃した瞬間、ウッズ親子は落胆の表情を見せました。でも、そのあと固くハグし合った父と息子は、36ホールを戦い切ることができた現実を喜び、ウッズは幸福感と充実感を噛み締めながら、こう語りました。

 「チャーリーは信じられないほど素晴らしいプレーヤーであり、素晴らしいパートナーだった。僕自身は、こうしてプレーできた幸運に感謝している。ちょっと疲れたけど、乗用カートにも感謝している」

 振り返れば、ウッズとこの大会の出会いは、実に四半世紀ほども昔に遡ります。1997年の『マスターズ』を2位に12打差で制したウッズは、そのとき、1人の紳士から「これでキミもファザー&サンに出られるね」と声をかけられたのです。

 ファザー&サンとは、現在のPNCチャンピオンシップの前身で1995年に創設されたばかりだった「ファザー&サン・チャレンジ」のことです。

 その大会の創設者から「メジャー・チャンプになったのだから、キミもこの大会に出ることができるよ」と告げられたウッズは、しかし「何それ?」と冷めた表情で聞き流し、後にこうして自分が息子と出場することなど、そのときは考えることも想像することもまったくなかったのです。

子ども思いのタイガーは心配性でもあった

2021年PNCチャンピオンシップでグータッチをするタイガーとチャーリーくん 写真:Getty Images

 1995年に創設された「ファザー&サン・チャレンジ」という大会に対して、若くて独身だった当時のウッズは、こんなイメージを抱いていたそうです。

 「ファザー&サンと言えば、クレッグ・スタドラー父子が、そっくりなポーズでそっくりなスイングをする姿を見て、へーと思った記憶はある」

 メジャーで勝つことだけを目指し、孤独な戦いに挑んできた戦士ウッズにとって、リラックスムードで挑む親子大会は、自分とは無縁の存在のように感じられていたのだと思います。

 その感じ方に変化が訪れたのは、2017年に4度目の腰の手術を受けた後のことでした。

 リハビリ中とはいえ、父親は現役プロゴルファーであることを、長女サムちゃんと長男チャーリーくんは、当時はまったく理解しておらず、「パパはレジェンド、ユーチューバ―」だと思い込んでいました。それを知ったウッズは、とてもショックを受け、「子どもたちとの絆を強めたい、深めたいと思った」そうです。

 それからのウッズは、戦線復帰後、チャーリーくんとのゴルフに精を出し、そして一昨年の12月にPNCチャンピオンシップに父子で初出場。大勢のギャラリーやメディアの視線を浴びながらプレーすることに、当時11歳だったチャーリーくんが対応できるかどうかが、父親ウッズは「とにかく心配で、僕はそれはそれはナーバスだった」。

 しかし、蓋を開けてみれば、チャーリーくんは終始、堂々たるプレーぶりを披露。途中で腰痛を発症したウッズは鎮痛剤を服用しながらのプレーになり、そんな父親をチャーリーくんが精一杯のナイスショットやナイスパットで支えていました。

 そして昨年大会では、重傷を負った右足を抱えるウッズは36ホールの戦いに持ちこたえられるかどうかを不安に思っていましたが、そんな父親の不安を吹き飛ばし、リードしたのは、またしても息子のチャーリーくんでした。

文/舩越園子(ゴルフジャーナリスト)

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