独特のヒゲを蓄え、葉巻きをくゆらせ、いつも痛快なジョークを飛ばすユニークなミゲル・アンヘル・ヒメネス。今回は、自分流の生き方を貫き通すことの格好良さを教えてくれた選手のお話です。
トラディショナルなヘッドカバーが粋だった
2011年2月に開催されたアクセンチュア・マッチプレー選手権は、世界ランキングの上位64名だけが出場していたエリート揃いでしたが、64名中39人がアメリカ以外の国籍を有する外国人選手だったことは、ゴルフの世界で国際化が進んでいることを物語っていました。
「最後に愛は勝つ」B・ワトソンがマスターズ王者になれた2つの答え
そのうちの1人、スペイン出身のミゲル・アンヘル・ヒメネスという選手は、そのとき47歳の最年長でした。ヒメネスはプロゴルファーにならなかったら車の整備や修理をするメカニックとしてカーレースに携わりたかったそうです。
ヒメネスのゴルフバッグをのぞいてみると、3本のウッドクラブそれぞれに、赤い毛糸で編んだヘッドカバーが付けられていました。上部にボンボンの飾りが付いており、もしかしたら20年ぐらい使い続けているのではないかと思えるほどの古いヘッドカバーでした。
ヨーロッパと世界で21勝を挙げられた要因は母国愛だった
「古いですね」とは言いにくかったので、「とてもトラディショナルなヘッドカバーですね」と言ってみたら、ヒメネスはうれしそうに「サンキュー」と言って笑いました。
ゴルフバッグの中には、ユーティリティやハイブリッドのクラブは1本も入っておらず、薄いブレードのアイアンが3番からずらりと並んでいました。時代の流行りからは、かけ離れたセッティングでした。
かつてヒメネスは、アメリカとヨーロッパのツアーを掛け持ちで転戦する多忙な生活を送っていました。
でも、「やっぱりオレは母国が好きだ。自分の家、自分のベッドで眠れる夜を増やしたい」と言って、アメリカから去っていったのです。その後、彼はヨーロッパツアーに専念し、そのかいあって、ヨーロッパと世界で通算21勝を挙げることができました。
流行や周囲にとらわれず、あくまでも自分は自分らしく。そんなヒメネスの自分流の生き方が、とても素敵に思え、私も「ゴーイング・マイウエイ」で生きていきたいなと秘かに思いました。
文/舩越園子(ゴルフジャーナリスト)