試合会場などで選手たちを取材するジャーナリストにとって、初めて単独インタビューした相手は一生忘れないものです。今回は、舩越さんが渡米後、初めて単独インタビューをしたときのお話です。
初めて単独インタビューしたのは選手ではなくキャディ
1993年に渡米してアメリカツアーで取材を始めた私が、初めて単独インタビューに成功した相手は、実を言えば、選手ではなく、選手のバッグを担いでいたキャディでした。
1992年に全米プロを制したジンバブエ出身のニック・プライスは、2年後の1994年に全英オープンでも勝利を挙げ、その勢いのまま、次なるメジャー大会、全米プロの会場に乗り込んできました。そのプライスの相棒キャディであるジェフ・メドレンのことが、私は以前からずっと気になっていて、選手をメジャー優勝へ導くキャディの秘訣を聞いてみたいと思っていました。
こともあろうに、メジャー大会の練習日に、「時の人」のような選手のキャディに単独インタビューを申し込むというのは、ずいぶん大それた行動でした。でも、あのころの私は、どうやら怖いもの知らずだったようです。
一流のキャディ「スクイーキー」が話してくれた「心の火」の話
甲高いキーキーした声でしゃべるメドレンは、みんなから「スクイーキー」というニックネームで呼ばれていました。そのスクイーキーに声をかけると、「ニックのランチの時間なら、僕は暇だから、話ができるよ」と快くOKしてくれて、私はいきなり大胆な取材を始めたのです。
とはいえ、メジャー大会の初取材で初めての単独インタビューだったため、私はすっかり舞い上がってしまい、どんな話をしたのかを、あまり覚えていません。でも、とても印象的だったのは、スクイーキーが話してくれた「心の火」の話でした。
「試合中、選手の心の火は燃え上がりやすい。でも、全然燃えていなかったら、それはそれで困る。僕はニックの心の火が、大きくなりすぎないよう、小さくなりすぎないよう、いつもその真ん中ぐらいの中庸の火になるようにキープする。それが、キャディの務めだと思っているんだ」
一流選手が勢揃いしているアメリカのゴルフ界は、キャディも一流揃いなのだということを、私が知ったのは、そのときでした。
輪の外側から拍手を送っていたスクイーキー
このインタビューの4日後、プライスは全米プロで優勝しました。1992年の全米プロ、1994年7月の全英オープンに続くメジャー通算3勝目を挙げたのです。だから私は、まるで自分のことのようにプライスとスクイーキーの優勝を喜んでいました。
戦いの舞台は米国オクラホマ州タルサのサザンヒルズ・カントリークラブ。18番グリーンで表彰式が始まり、大勢のカメラマンたちに囲まれたプライスが優勝カップを高々と掲げていました。ギャラリー・スタンドには大勢のギャラリー。カメラマンの輪のすぐ外側にはプライスの家族や関係者、大勢のメディアがぎっしりと立っていて、みな満面の笑顔を讃えながら、大きな拍手を送っていました。
そろそろメディアセンターに引き上げて原稿を書こうと思った私が18番グリーンを背にして歩き始めたとき、賑やかな人々の輪から少し離れたところに、スクイーキーが1人でポツンと立っていました。優勝した選手のキャディなのだから、スクイーキーも主役です。それなのに、彼はまるで1人のファンのように、輪の外側から、ひっそりとプライスに拍手を送っていました。
「おめでとう、スクイーキー」と声をかけると、彼は「サンキュー、サンキュー」と甲高い声で何度も答え、目には涙が溢れていました。
それからわずか3年後、スクイーキーは白血病でこの世を去ってしまいました。それが本当に残念でたまりませんでした。彼は私が出会ったキャディの中で、一番優しく、一番優秀で、最高のキャディ。そして、最高の人でした。
文/舩越園子(ゴルフジャーナリスト)