アーノルド・パーマー、ジャック・ニクラス、ゲーリー・プレーヤーの3人は、ゴルフ界の「ビッグ3」と呼ばれるレジェンドです。パーマーとニクラスはアメリカ人で、パーマーはすでに亡くなってしまいましたが、南アフリカ出身のプレーヤーは86歳になった今でもトレーニングを欠かさず、とても元気な様子です。今回は、そんなプレーヤーのお話です。
プレーヤーの心遣いに触れて、一気に大ファンに!
ゴルフ界のビッグ3の1人、南アフリカ出身のゲーリー・プレーヤーと私が初めて1対1で向き合ったのは2002年のことでした。彼のマネージャーを通して取材をお願いし、指定された場所へ飛行機で向かい、翌日、プレーヤーの宿泊先のホテルで落ち合いました。
「私の部屋は散らかっているから、ホテルのミーティングルームを借りよう」
そう言った途端、プレーヤーはフロントへ向かって歩き出し、ホテル側と交渉してミーティングルームを借りてくれました。
その作業は、本来なら私があらかじめやるべき準備だったのですが、まだアメリカでの取材活動に不慣れに見えたであろう私に代わって、プレーヤーはレジェンドであるにも関わらず、そんなことまでやってくれたのです。
「ソーリー」と「サンキュー」を続けざまに言うと、プレーヤーはにっこり笑って、こう言ってくれました。
「なーに、外国人はお互い助け合いだよ」
その瞬間から、私はプレーヤーの大ファンになりました。
飛行機もホテルも取れず、バンカーで一晩を過ごしたことも
まだ移動手段が発展していなかった1950年代、南アフリカとヨーロッパとアメリカの間を頻繁に行き来したプレーヤーは、「外国人ならではの苦労を嫌というほど味わった」と話してくれました。
当時の南アフリカが行なっていたアパルトヘイトへの批判が欧米に出向いたプレーヤーにも向けられ、嫌がらせをされたり、怒鳴られたり野次られたりしたそうです。
「飛行機もホテルも取れず、ゴルフ場のバンカーの中で一晩、雨風をしのいだこともありました。そんな孤独な転戦が嫌になり、8人家族全員でツアーを回り始めたら、飛行機に預ける荷物の数が30個以上になって、数えるだけでも大変だったよ」
そう言って笑って見せたプレーヤーでしたが、すぐに神妙な顔になり、こう言葉を続けました。
「本当に辛かったのは、どれだけ優勝しても、アメリカ人選手と私では扱われ方がやっぱり違っていたことです。優勝争いの真っ只中で、大事なパットを打とうとしたら、どこからか別のボールが投げ込まれ、私の足元に転がってきた。寒い冬に、氷がいっぱい入ったコーラをかけられたこともあった。差別主義者はアメリカから出て行けと野次られたこともあった。そういうことが何より辛く、悲しかった」
そんな苦悩を乗り越えながら戦い続けたプレーヤーは、ついにはメジャー9勝のグランドスラマーになりました。
たくさん辛い思いを噛み締めてきたからこそ、彼は強くなり、そして外国人やマイノリティと呼ばれる人々にことさら優しくなったのでしょう。
私にとても良くしてくれたことは、プレーヤーが人生で味わってきた辛さと強さと優しさ、すべてのおかげなのだなと、あのとき私は感じました。
文/舩越園子(ゴルフジャーナリスト)