ゴルフは18ホールをプレーしてスコアを競うスポーツです。ところが日本には27ホールのゴルフ場がけっこうあります。どうして27ホールのゴルフ場がこれほど多く誕生したのでしょうか。
かつてはワンハーフが主流だった
ゴルフは今でこそ人気スポーツになりましたが、日本にゴルフが伝わった1901年(明治34年)から第一次ゴルフブームが始まった1957年(昭和32年)まで、限られた人しかプレーできない特別な遊びでした。
1957年になぜゴルフブームが始まったかというと、カナダカップというゴルフの国別対抗戦を日本に誘致し、その試合でプロゴルファーの中村寅吉と小野光一のペアが団体優勝したからです。中村は個人戦でも優勝しました。
テレビ放映で初めてゴルフを見た人たちが面白さに気づきました。しかしながら、当時はゴルフ場が全国で116コースしかありませんでした(一般社団法人 日本ゴルフ場経営者協会調べ)。これをきっかけにゴルフ場開発が急ピッチで進みました。
ゴルフ場を開発する際、最初は18ホールで計画がスタートしますが、当時の名門コースは東コース18ホール、西コース18ホール、合計36ホールというホール構成でした。カナダカップが開催された霞ヶ関カンツリー俱楽部(埼玉県)も36ホールでした。
ですから、資金力のあるゴルフ場開発会社は将来的に36ホールを造成できるように用地を取得しました。18ホールで開場したゴルフ場が、周辺の土地を追加取得してホールを拡張するケースもありました。ゴルフ場開発は最初に9ホールを造成して仮オープンし、9ホール×2周=18ホールで仮営業しながら残りの9ホールを造成して正式にオープンするという流れで完成させます。
第一次ゴルフブームが始まってからバブルが崩壊する1990年代まで、ゴルフ場の供給は需要に追いついていませんでした。今みたいにビジター(ゴルフ場のメンバー以外の人間)が気軽に予約を取れる時代ではなく、メンバーでも予約を取るのが大変でした。
予約が取れて、ゴルフ場でプレーできるとなったら、1ラウンドでは気が済まず、「まだ明るいからプレーできるよ。もうハーフ回ろうよ」という、ワンハーフ(1ラウンドの後に9ホールをラウンドすること)が主流でした。
ですから、36ホール分の用地がなくても27ホール分の用地があれば、9ホール×3コースで27ホールを造成しようという発想のゴルフ場開発会社が多かったのだと思います。
18ホールと9ホールに切り分けているゴルフ場もある
バブルが崩壊すると、ゴルフ場の需要と供給のバランスは逆転現象が起こりました。バブル期に計画したゴルフ場開発は、すでに造成を始めたのを途中でやめるわけにもいかず、造り続けました。
その結果、ゴルフ場数は最も多かった2002年には2460コースに到達しました(一般社団法人 日本ゴルフ場経営者協会調べ)。このころには1ラウンドが主流になり、27ホールのゴルフ場の弱点が浮き彫りになってきました。
18ホールのゴルフ場は大人数のコンペを開催する際、アウトとインの2ウェイでスタートします。ところが27ホールの場合、東→西コース、西→南コース、南→東コースといった具合に3ウェイになります。これだと参加者全員が同じホールをプレーすることになりません。
そのため27ホール中9ホール分の敷地を売却し、18ホールに変更するゴルフ場が出てきました。ただし、ゴルフ場の敷地は別業種に転用するのが難しいので、そんなに簡単には売却できません。
したがって、27ホールのゴルフ場は3ウェイのまま営業を続けている施設もあれば、メインの18ホールとサブの9ホールを切り分けて別プランを設定している施設もあるのです。
文/保井友秀