2011年3月に東日本が大震災に見舞われたとき、一早く日本に5万ドルを寄付してくれた心優しいバッバ・ワトソンは、その翌年、2012年4月の『マスターズ』最終日に激しい優勝争いを演じていました。感情の起伏がとても激しいエモーショナルなバッバ・ワトソンがマスターズに勝てたことは、世界中のゴルフ界を驚かせた衝撃的な出来事でした。今回は、ワトソンがたどり着いたある答えに関するお話です。
ある意味で問題児だった過去のワトソン
マスターズで優勝争いを演じるワトソンを眺めながら欧米の記者たちは、「あんなに感情的な選手が、このマスターズで優勝できるわけがない」などと、批判的な視線を向けていました。
そう、ワトソンは心優しい一方で、プレー中はとてもエモーショナルになりがちで、デビューしたころはミスしてはクラブを投げたり叩きつけたりして問題視されていました。
2010年に初優勝して号泣したときは、もらい泣きしたファンも多かったのですが、その後、2勝目、3勝目を挙げたときはもっと号泣し、その泣き方があまりにも激しかったせいで、クールなアメリカのメディアは、半ば呆れ顔になってしまっていたのです。
フランスで開催された欧州ツアーのフレンチオープンには、高額のアピアランスフィーをもらって招待出場したのですが、会場にやってきた大勢のギャラリーが持ち込んだカメラのシャッター音のせいで自分は予選落ちしたと怒声を上げ、フランスのゴルフファンやメディアから激しく批判されたこともありました。
「予選落ちして2日間しかプレーを見せなかったのだから、受け取った高額のアピアランスフィーの半額を返還すべきだ」などと書かれたこともありました。
しかし、あのマスターズ最終日の昼下がり、ワトソンはそうした過去の出来事や陰口のすべてを吹き飛ばすかのように、黙々とオーガスタ・ナショナルをプレーし、サドンデス・プレーオフを制して、ついに勝利をもぎ取ったのです。
彼をマスターズ・チャンピオンへ導いたものは何だったのか。その答えは2つありました。
父親になった責任感がワトソンを変えた
なぜワトソンは勝利を挙げることができたのか。直接的な勝因となったのは、ルイ・ウエストヘーゼンとのサドンデス・プレーオフで見せた奇跡の1打でした。
あの日、プレーオフの2ホール目となった10番で、ワトソンはティショットを右の林に打ち込みました。前方にはたくさんの木々が立ちはだかり、グリーンを狙うのは至難のワザに見えました。
しかし、子どものころ、自宅の庭にあった大木の上下左右を抜いていくショットを自己流で練習したワトソンは、前方に立ちはだかる木々をかつての庭の大木に見立て、それらを見事にかわして、ピン3メートルに付ける奇跡の1打を放ちました。その1打が、彼の勝利につながったことは明らかでした。
しかし、もう1つ、大きな勝因がありました。
ワトソン夫妻は、あのマスターズの2週間前に、生後間もない男の子を養子として迎えたばかりでした。育児に専念していた妻はオーガスタ・ナショナルには来ておらず、ワトソンは父親になった喜びと責任を生まれて初めて実感しながら、あのマスターズを戦っていたのです。
「息子ができたときに戦ったマスターズで勝ちたい。優勝して息子を抱き締めたい」
それまでは自分自身のためにプレーしていたワトソンでしたが、父親としての愛情が芽生えたあのとき、彼には目に見えない不思議な落ち着きが生まれ、マスターズを制することができたのだと私は思いました。
いろんなことが起こり、ファンやメディアから、ずいぶん叩かれたワトソンですが、サンデー・アフタヌーンが暮れ行く中、グリーンジャケットを羽織った彼の姿を眺めながら私の頭をよぎったのは、「最後に愛は勝つ」という古い歌のフレーズでした。
文/舩越園子(ゴルフジャーナリスト)