フレッド・カプルスを支えた妻・サイスの手腕【舩越園子 ゴルフの泉】

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1992年マスターズで優勝した時のフレッド・カプルス(右) 写真:Getty Images

1992年のマスターズチャンピオンで、PGAツアーでは15勝を挙げているフレッド・カプルス。昨年、62歳で3度目の結婚を発表したことには驚かされましたが、今回は2度目の妻・サイスさんとのお話です。

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成績不振の原因は幸せになり過ぎたこと

 1992年のマスターズを含め、次々に勝利を重ねて輝いていたアメリカのゴルフ界のビッグスター、フレッド・カプルスは、1998年から成績不振に陥りましたが、5年後の2003年に復活優勝を果たし、うれし涙を流しました。

 カプルスは、なぜ1998年から成績不振に陥り、どうやって5年後に復活することができたのでしょうか。ある夜、ホテルの屋上のプールサイドで行なった単独インタビューで、彼はその5年間を振り返り始めました。

 「たぶん、、、1998年は僕のターニングポイントだったんだと思う。僕のゴルフ人生というより、僕の人生そのものの大きな転換期だったんだと思う。あの年は、妻のサイスと結婚した年だった。僕にとっては2度目の結婚だった。最初の妻とは1993年に別れたんだ。離婚して気持ちが沈んだわけではなく、むしろ気持ちの整理ができて、すっきりした感じでもあった。だけど、1人きりでツアーを転戦し続ける生活は決して楽しくはなかった。だから僕は、寂しさを忘れるために、無理矢理ゴルフに没頭しようとしていたのかもしれない。でも、サイスと出会い、結婚してからは、僕の生活は一気に様変わりした。彼女には2人の幼い子どもがいたから、僕はいきなり2児の父親になり、とてもなついてくれて、僕はとてもとても幸せになれた。だけど、皮肉なことに、妻や子どもたちとずっと一緒にいたいという気持ちが、ゴルフでいい成績を出したいという気持ちを上回っていった。僕は試合に行くより、少しでも長く家にいたいと思うようになり、ゴルフへのモチベーションが日に日に低下していった」。

 幸せになりすぎたことがあだになり、成績不振に陥っていったというその話は、カプルスが初めて明かした驚きの告白でした。

突然、妻が連れてきたのはブッチ・ハーモンだった

 最初の妻と1993年に離婚し、1人でツアーを転戦する生活に寂しさを感じていたフレッド・カプルスは、1998年に再婚し、妻サイスが連れてきた2人の子どもたちの父親になりました。新しい家族4人の生活は、「とても幸せだった」そうです。

 しかし、カプルスはその幸せな日々から離れてツアーを転戦するのは嫌だと思うようになり、それが彼のゴルフへのモチベーションと成績を急降下させていったことは、皮肉な現象でした。当時のことを、カプルスはこう振り返りました。

 「もちろん、そういう家庭の事情だけが成績低下の理由ではなかった。持病の腰痛がどんどん悪化していたこともゴルフへの意欲が低下した一因だった。激痛をこらえて試合に出ても惨たんたる成績ばかり。もうオレも終わりだなと思うことの連続で、2000年、2001年、2002年ごろは、自分がどこまでも落ちていくのを感じていた」

 そんなある日。カプルスの妻サイスが、全米屈指のゴルフインストラクター、ブッチ・ハーモンを、突然、自宅に連れてきたそうです。

 「妻は僕に、ブッチのレッスンを受けて、もう一度、勝ってほしいと言った。ブッチも、一緒にトライしよう、頑張ろうと言ってくれた。迷ったけど、僕は、もう一度がんばろうと決めたんだ」

 ハーモンは、腰への負担を最小限にとどめるスイングをカプルスに教え、そのおかげで以前より練習できるようになったカプルスは、少しずつ自信と意欲を取り戻し、それが彼のやる気につながっていきました。

 そして2003年4月。『シェル・ヒューストン・オープン』で5年ぶりの復活優勝を果たし、溢れ出すうれし涙をバイザーのツバで隠すようにしながら男泣きしたのです。

 カプルスの人生の転機には、いつも妻サイスと2人の子どもたちの存在があったことを、あの夜、私はプールサイドで聞きながら、ところどころでもらい泣きしていました。

文/舩越園子(ゴルフジャーナリスト)

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