2021年の東京五輪女子ゴルフの初日を16位タイで終えた稲見萌寧が、「楽しく回れました」と笑顔を輝かせたとき、私は今は亡き千葉晃プロの姿を思い出し、千葉プロがジュニア育成に人生のすべてを注いだ北谷津ゴルフガーデンの土屋大陸(ひろみち)社長にすぐさま電話をかけました。今回は、ジュニア育成に尽力した千葉晃プロが残した功績についてのお話です。
池田勇太や稲見萌寧らを排出した北谷津ゴルフガーデン
千葉プロは、まだ日本のゴルフ界でジュニア育成のシステムや施設が皆無に近かった1990年代から、大勢の子どもたちを指導してきたジュニア教育の先駆者でした。
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ちょうどそのころ、日本でゴルフの書き手としてスタートした私が、生まれて初めて取材させてもらったプロゴルファーが、実を言えば千葉プロで、以後、私は千葉プロとしばしば交流を持たせてもらっていました。
「オイラはよう、日本の子どもたちを世界で戦えるゴルファーに育てたいのよ。そのためには本物の芝の上から球を打たせてやれる環境を作りたいのよ」
べらんめえ口調で口癖のようにそう言っていた千葉プロは、1970年に千葉県内に開場された北谷津のショートコースに手を入れて、天然芝が施された立派な18ホールのショートコースを擁する北谷津ゴルフガーデンを28年前につくりました。
千葉プロの温かい人柄、千葉プロと志しを共にしていた土屋社長や浦東大人(ひろひと)プロといった仲間たちによる指導体制、充実した練習施設の評判はじわじわ広がっていき、未来のプロゴルファーを目指す子どもたちが北谷津に集まってきました。
横尾要、池田勇太、市原弘大らが巣立っていった北谷津に、小学5年生だった稲見がやってきたのは2011年のこと。土屋社長は当時の稲見を、「萌寧は小学5年にしては大柄で立派な体格で、何でもそつなくこなす子でした」と、振り返ってくれました。
「楽しくなけりゃ、ゴルフじゃねえ!」が千葉プロの信念
そんな稲見が五輪に日本代表選手として出場したこと自体が、「すごいことです」と驚き混じりに振り返った土屋社長は、かつての稲見の思い出話を聞かせてくれました。
「夕方、一般のお客さんがいなくなった後、萌寧は小さな砲台グリーンの上下左右、いろんな場所を目がけて黙々と練習していました。閉店時間の夜10時の最後の最後まで残っていたのは、いつも萌寧でした」
ただし、北谷津ゴルフガーデンをつくった千葉晃プロは、どれだけ必死に練習するときも、「楽しくなけりゃ、ゴルフじゃねえ!」と声を掛け、それは北谷津全体の合言葉になっていました。
稲見選手が「夢の舞台」だと言った五輪で「楽しく回れました」と笑顔を輝かせたとき、彼女にも北谷津の魂が受け継がれていることを知り、私自身、感慨深い思いでした。
五輪女子ゴルフウィークが始まった8月2日は、2018年にこの世を去った千葉プロの命日でした。妻・茂美さんから、こんなメッセージをもらいました。
「命日に娘とお墓参りに行ってきました。『大勢のジュニアは、もうジュニアではなくプロだけど、みんな楽しくゴルフをして結果を出しているよ』と伝えてきました」
稲見選手が銀メダルを獲得した7日には、千葉プロとともに北谷津を開いた同志、浦東大人(ひろひと)プロから、こんなメッセージが届きました。
「稲見のメダリスト姿を天国の千葉に見せることができました。ありがとう」
銀メダルは稲見選手自身が積み上げた努力と鍛錬の結果ですが、彼女に「楽しむゴルフ」を授けた千葉プロや北谷津の人々、北谷津で腕を磨いた日々は、彼女の何よりの財産です。
お金では買えないその財産をコツコツ築き上げてきたからこそ、彼女は銀メダルを手に入れることができたのだと私は思っています。
文/舩越園子(ゴルフジャーナリスト)