“らしさ”を大切にした宮里藍の苦労【舩越園子 ゴルフの泉】

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女子ゴルフ人気の火付け役だった宮里藍 写真:Getty Images

今シーズンは西村優菜選手や勝みなみ選手ら若い選手が米女子ツアーに参戦していますが、かつて女子ゴルフ人気の火付け役となった宮里藍選手も米女子ツアーに挑戦し、そして活躍を果たしました。今回は、そんな宮里選手の当時のお話をしたいと思います。

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米ツアーでは「飛ばさなきゃ」って気持ちになってしまう

 かつて、日本の女子ゴルフ界における国民的アイドルだった宮里藍は、日本ツアー12勝の実績を引っ提げ、2006年からアメリカツアーに本格参戦を開始しました。

 アメリカにやってきたばかりのころの彼女は、面白いようにフェアウエイやグリーンをポンポンとらえる正確性の高いゴルフを誇っていました。

 しかし、数か月が経過したころから、次はショートゲーム、次はパットという具合に、彼女は技術面に改良を加え始め、さらには「もっと飛距離を伸ばさなきゃ」とスイングをいじり始めたのです。

 すべては「勝ちたい」「勝たなきゃ」という一念から取り組んだこと。しかし、皮肉にもその一念が彼女のせっかくの持ち味を次々に打ち消していく結果になり、2007年後半には彼女は深刻なスランプに陥っていました。

2006年米女子ツアーに参戦していた当時の宮里藍 写真:Getty Images

自分のスタイルは何かを見直した!

 宮里選手は、そのときのことを、のちにこう振り返っていました。

 「勝てるチャンスが増えて、欲を出し過ぎたことが一番の原因だった。ケガもあったし、いろんな歯車が噛み合わなくなって、結果的にドライバーがおかしくなった。起こるべくして起こったんです、、、、世界にはいろんなタイプの選手がいる。『それじゃあ自分はどうよ?』って思って、自信が持てる自分のスタイルを早く確立しなきゃって思ったのが(世界に出たときの)最初の印象でした」

 焦って、必死になりすぎて、「らしさ」を見失った。それが、ドライバーでほんの数十ヤード先にもまっすぐ飛ばすことができなくなった宮里選手の大スランプでした。

 その後、宮里選手が見事に復活し、アメリカ女子ツアーで合計9勝を挙げたことは、彼女自身のネバーギブアップの精神と、ゴルフに対する真摯な姿勢から生み出された奇跡だったのだと私は今でも信じています。

文/舩越園子(ゴルフジャーナリスト)

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