いよいよマスターズの開幕が迫ってきました。最初にマスターズの取材に行ってから30年近くの月日が経とうとしていますが、今も変わらずマスターズは特別な存在です。今回は私がマスターズに最初に行った時のお話をしたいと思います。
初めてのマスターズは大きな荷物とともに
渡米から2年後の1995年の年明けに、日本のゴルフ雑誌の編集者から突然電話がかかってきました。
「今年のマスターズに僕と一緒に行ってください」。そう言われた私は、あまりの嬉しさで、その場で飛び跳ねながら喜びました。ついに、マスターズの取材ができる。私はすっかり夢見心地で4月を迎え、オーガスタ・ナショナルへ向かいました。
昔も今も、選手たちは、マグノリアレーンへと呼ばれる閑静な小道へ続くゲートをくぐってオーガスタ・ナショナルに入ります。しかし、ギャラリーやメディアは、それとは別のゲートを使うことになっています。
駐車場もそれぞれ別の場所にあり、当時のメディア用の駐車場は入場ゲートの目の前でした。私は毎日、車から大きな荷物を降ろすと、それらを1人で全部抱えてメディアセンターまで歩いていきました。
大きな重い荷物を必死に抱え、ときどき、よろよろしながら歩く私を見て、周囲のギャラリーは「ゴルフの取材に、なぜそんな大きな荷物が必要なんだ?」と笑いながら尋ねてきました。
でも、あのころはメディアセンターの中にタイプライターを打つ音が響き渡っていた時代です。パソコンもさほど普及しておらず、私が持ち込んだのは大型でとても重たいワープロでした。
そのワープロには印刷機能が付いていなかったため、私はやっぱり大型で重たいプリンターも持ち、その両方をつないで原稿をプリントアウトし、それをFAXで日本の雑誌社へ送っていたのです。
しかし、あのときの私は、荷物の大きさも重さも、へっちゃらでした。それほど、私は嬉しくてたまらず、興奮していたのです。
謎めいたことだらけなのがマスターズの魅了
1995年4月。夢にまで見ていたマスターズ取材が初めて実現し、ワクワクしながらオーガスタ・ナショナルに足を踏み入れた私は、さっそくコースへ繰り出しました。
クラブハウスの前には大きなオークツリーがそびえていました。オークツリーとは、樫の木のことです。選手たちがこの木の下でメディアの取材に応える場面をこれまで何度もテレビで見ていた私は、「おー、インタビューしていた場所は、ここだったんだ」とすぐにわかりました。
1番ホールは、その向かい側にあります。ティグラウンドのすぐ横に立って前方を眺めてみると、テレビでは平坦に見えたこのホールが、かなり起伏に富んでいることがわかり、フェアウエイバンカーは想像以上に遠くにあることもわかって、何から何まで驚きの連続でした。
もっと先まで行ってみよう。そんなふうに気持ちがはやり、知らず知らずのうちに私は小走りになっていたのです。すると、オーガスタ・ナショナルのメンバーの象徴であるグリーンジャケットを羽織った紳士が、どこからともなく現れて近寄ってきました。
「お嬢さん、このオーガスタ・ナショナルでは、走ってはいけません」
唐突にそう言われた私は、ビックリして、「えっ?なぜですか?冗談ですよね?」と思わず聞き返しました。しかし、その紳士は私の「なぜ?」には答えず、穏やかな笑顔を讃えたまま「それがオーガスタ・ナショナルです」と言ったのです。
その後、毎年のようにマスターズ取材を重ねていった私は、オーガスタ・ナショナルには不思議なことや謎めいていることがほかにもたくさんあって、だからこそミステリアスで面白いということに徐々に気付いていきました。
そして、あれから28年が経過した今では、あのときの紳士の言葉通り、「それがオーガスタ・ナショナルなんだ」とうなずけるようになりました。
文/舩越園子(ゴルフジャーナリスト)