韓国生まれのアメリカ人、ジェームス・ハーンは、当時、すでに31歳の新人でした。名門UCLAのゴルフ部出身。プロを目指しながらも生活費を稼ぐために広告代理店やデパートの靴売り場で働き、下部ツアーで腕を磨くこと3年あまり。今回はやっとのことで2013年にアメリカツアーに辿り着いたハーンに関するお話です。
無名の新人がダンスで一気にスターに!?
2013年、デビュー4戦目のフェニックス・オープン最終日。グリーンに乗せれば大拍手、外せば激しいブーイングが飛ぶ名物ホールのパー3(16番)で、バーディーパットを見事に沈めたハーンは、韓国発のヒット曲「江南(カンナム)スタイル」をグリーン上でいきなり踊り出したのです。
彼のヒップホップダンスに大観衆は沸き返り、そのダンスシーンはネット上でも数十万ビューを記録して大きな話題になりました。「幼いころから、この大会をテレビで見るたびに、16番で大観衆を沸かせることを夢見てきました」。この大会で16位になったハーンは、翌週の大会では3位に食い込みました。
「優勝するのが夢だけど、予選を通らない限り優勝はない。予選を通れば賞金が得られ、妻が喜ぶ」。そう言っていたハーンは3位になって、「大きなゴールの中の小さなゴールを決めた」と笑顔を輝かせました。
一夜にしてビッグスターと化すシンデレラストーリーではありませんでしたが、無名だった新人がちょっとしたスターになりつつある成長ぶりに、私もワクワクさせられました。
大金を得ても変わらぬ姿勢を守ったハーン
2013年のフェニックス・オープンでのヒップホップダンスが話題になったジェームス・ハーンでしたが、その年も、その翌年も、シード権を守るのが精一杯でした。
そもそもハーンは、ダンスを踊って「時の人」になったとはいえ、当時は無名の新人。
大学卒業後、広告代理店やデパートの靴売り場で働きながらゴルフの転戦費用を必死に稼ぎ、下部ツアーを経て、2013年に31歳でやっとアメリカツアーに辿り着いた苦労人です。だから、あのグリーン上のダンスが大ブレイクして名前と存在が知れ渡ったときも、彼はクールにこう言っていました。
「ブレイクしたのは僕のダンスであって僕じゃない。手持ちの全財産が288ドルなんて苦しい日々を経験してきた僕にとって、お金は食べて生活して心身を維持するための貴重なもの。ゴルフは、その貴重なお金を稼ぐためのものです。だから毎試合とにかく予選を通過して、たとえ最下位でも、何がしかの賞金を持ち帰り、妻に渡すことを目指すのみです」
そう語ったハーンが、2年後の2015年の春、ノーザントラスト・オープンで初優勝を挙げました。1億円以上のビッグな賞金を得たのだから、これからはお金ではない何かを目指してゴルフをしていきますかと尋ねると、彼は「優勝者の名前が刻まれる壁に僕の名前も刻まれる。栄誉はそれで十分です。僕はこれからも生活していくためにゴルフを続けるつもりです」。
それから2週間後、試合会場からホテルへ向かうメディア用のシャトルバスに乗ったら、ハーンが駆け込み乗車してきたのでビックリしました。
「だって、このシャトルならタダだから助かるんだ!」
世界一のアメリカツアーで優勝しても、変わることなく彼が倹約家で謙虚な姿勢のままだったことが、ちょっぴり嬉しく感じられました。
文/舩越園子(ゴルフジャーナリスト)