フィル・ミケルソンに引き継がれた家族ファーストの精神【舩越園子 ゴルフの泉】

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2005年PGA Championshipで優勝した時のフィル・ミケルソンと家族 写真:Getty Images

パインハーストCCで行われた1999年の全米オープンは歴史に残る激戦となりました。今回は、勝者となったペイン・スチュアートから敗者となったフィル・ミケルソンに贈られた心温まる言葉についてのエピソードを紹介します。

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非難されることもあったミケルソンの家族第一の考え方

 1999年の全米オープンは、フィル・ミケルソンがメジャー初制覇に迫った末に惜敗した代表例となりました。

 あの大会のときは、ミケルソンの愛妻エイミーが初産を控えており、まだスマホという便利なものが存在していなかった時代ゆえ、ミケルソンはエイミーとのホットラインとなるポケットベルをゴルフバッグに忍ばせていました。

 「たとえ最終日のバック9で単独首位に立っていても、エイミーの身に、もしものことが起こったら、僕はすぐさま試合を棄権して、彼女のもとへ駆けつける」

ミケルソンと愛妻エイミー 写真:Getty Images

 開幕前から、そう言い切っていたミケルソンのファミリー第一の姿勢は、当時のアメリカゴルフ界では珍しいものとして注目を集めていました。そんな中、ミケルソンは好プレーを披露し、最終日は当時のスーパースターだったペイン・スチュワートとの激しい優勝争いになりました。

ゴルファーである前に人間であることを認識させたスチュワートの行動

1999年の全米オープンで優勝したペイン・スチュアート 写真:Getty Images

 勝利したのはスチュワート。惜敗したミケルソンは18番グリーン上で勝利を逃したショックに打ちのめされ、茫然としていましたが、スチュワートはそんなミケルソンの顔を両手で包み込むながら、こう言ったのです。

 「フィル、父親になるってことは、素晴らしいことだぞ」

 メジャーの勝敗が決した直後に、勝者が敗者に、勝敗とは無関係にそんな言葉をかけた場面を、あのとき私は初めて見ました。2人のそんな姿は「ゴルファーである前に人間であれ」という認識をアメリカのゴルフ界に根付かせ、若い選手たちの理想像となっていきました。

 勝者スチュワートは、あの勝利の4か月後、飛行機事故でこの世を去ってしまいましたが、家族を大切にしていたスチュワートの魂は、そうやってミケルソンに引き継がれたのだと私は思っています。

文/舩越園子(ゴルフジャーナリスト)

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