今やアメリカでも日本でも韓国人選手はツアーの中心的な活躍を見せていますが、今回は、韓国女子選手が世界で活躍するきっかけを作ったあるレジェンドのお話です。
韓国で女子ゴルフブームが巻き起こった
アメリカの女子ツアーでは、大勢の韓国人選手たちが上位を占めていますが、その現象は昔から見られたわけではなく、ある1人の韓国人選手が、火付け役になったのです。
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その選手の名前は朴セリ。1998年全米女子プロ選手権でいきなり優勝し、続く全米女子オープンも制して、世界の舞台へセンセーショナルなデビューを果たしました。
23年前のあのころ、朴はまさにスーパースターでした。
まだ英語を習得中だった20歳の彼女と向き合い、「後悔していることはない?」と尋ねたことがありました。すると彼女は「後悔?そんなもの知らない」と、きっぱり答えました。
その返答ぶりは、何かを悔いるという行為すら知らずに、ひたすら突き進んできた彼女の20年を物語っていました。
朴の母国である韓国では、そんな朴に憧れて幼い少女たちがゴルフクラブを握り始め、あっという間に女子ゴルフブームが起こりました。それから数年後、「朴セリ旋風」の申し子たちが次々にアメリカにやってきて、アメリカの女子ツアーを席捲し始めたのです。
イップスになってしまった朴
しかし、朴自身のゴルフの火は2004年の夏、フッと消えてしまいました。ティグラウンド・イップスというゴルファーならではの病的現象に襲われたのです。
それまでは強いストレートボールを誇っていた朴が、弱々しく曲がる球しか打てなくなりました。100ヤード先にも進めなくなり、「生まれて初めてティグラウンドに立つのが怖いと感じた」そうです。
成績下降に伴って、スポンサー企業は次々に離れていきました。
やがて、メディアの注目もゼロに等しくなり、彼女は疲れ果てて母国へ帰りました。もう朴はアメリカには戻ってこない。そんな声が聞こえてきましたが、彼女の物語は、そこで終わりではなかったのです。とても心温まる物語の続きは、次回にお話したいと思います。
文/舩越園子(ゴルフジャーナリスト)