ゴルフジャーナリストの舩越園子さんがPGAツアーを中心に長年のゴルフ取材中に見聞きしたこぼれ話を紹介します!今回は、2016年のツアー選手権でローリー・マキロイが優勝した日に、ゴルフ界のキング、アーノルド・パーマーが亡くなったことで舩越さんが感じた運命の不思議さの話です。
ゴルフ界のキング、アーノルド・パーマーが亡くなった日
あれは2016年の秋。アメリカツアーの最終戦、ツアー選手権最終日の夕暮れでした。北アイルランド出身のローリー・マキロイが優勝争いの大詰めでウイニングパットを沈めようとしていたちょうどそのころ、ゴルフ界のキング、アーノルド・パーマーが亡くなったという一報が飛び込みました。
パーマーがアマチュアとしてアメリカツアーにデビューしたのは1949年のこと。その年からアメリカでゴルフのテレビ中継が定期的に始まりました。パーマーがプロ初優勝を挙げたのは1955年のカナディアンオープン。その年からマスターズのテレビ中継が開始されました。
パーマー人気がゴルフ人気を高め、パーマーの存在がプロゴルフの世界を築いたと言っても過言ではありません。どんな場所からでもリカバリーする攻撃的なゴルフは人々の視線を釘付けにした。メジャー7勝、通算62勝の強さを誇りながら、一方で、セクシーな色男の一面も垣間見せ、彼を追いかける大勢の女性ファンの一団は「アーニーズ・アーミー」と呼ばれていました。
かつての王者から若き王者へバトンタッチされた夜
そんなパーマーがあの年の9月25日、心臓病が悪化し、87歳で亡くなったのですが、息を引き取ったタイミングは、まるでパーマーが若者たちの大切な優勝争いを「邪魔しちゃいけないな」と考えて、勝負がつくまでは天国への出発を待っていたかのようでした。
マキロイのウイニングパットを見届けて、かつての王者が若き王者に「これからのゴルフ界を頼むよ」と、バトンタッチしたかのようでもありました。
そんなふうにパーマー逝去とマキロイ勝利のタイミングが重なったことは、もちろん偶然だったのですが、もしかしたら、それは偶然のようで必然だったのではないか。そう思えるほど、よくできたストーリーでした。
優勝会見にやってきたマキロイは、優勝した喜びを静かに噛み締めながら、笑顔を見せることは決してなく、パーマーを偲んでいました。
あの夜は、そんな偶然に接して、運命の不思議を感じた夜でした。
文/舩越園子(ゴルフジャーナリスト)