「僕はアメリカで10年頑張りたい」と言った丸山茂樹が、10年まであと1年というタイミングでアメリカを去ったのが2008年の夏のこと。今回は、それから17か月たった2009年の冬のお話です。
丸山茂樹との日本での再会は意外な形で
私は一時帰国していた2009年の12月に、珍しく日本の試合へ足を運びました。
日本ツアー最終戦の日本シリーズJTカップ。そして、その試合で勝利を掴んだのが丸山茂樹でした。アメリカから黙って去っていった丸山選手との再会が、そういう形で実現されるとは想像もしていませんでした。
優勝会見にやってきた丸山選手は、アメリカツアーで通算3勝を挙げ、輝いていたかつての日々を振り返りながら、「以前は上から目線で、日本に戻って来ればすぐに勝てるなどと思っていた時期もありました」と、懺悔のようなことを語ったのです。
アメリカで勝てなくなったら、日本に帰ればいい。日本なら、すぐに勝てる。そんなふうに、アメリカが上で日本が下という具合に見下していたというのに、いざ日本に帰ってきたら、いくら試合に出ても、すぐに勝てるどころか、もがく日々になっていったと彼は素直に告白しました。
アメリカで苦しみ、そして日本でも苦しんだ末の勝利
「荒波を乗り越えて、ようやく勝つことができました」
そう言った丸山選手の目に涙が溢れました。日本で予想外に苦悩の日々を経験した彼は、かつての驕りを捨て去り、素直になった分、より大切なものが見えるようになり、ゴルフに対する向き合い方も変わったのだと思います。
登山に例えるなら、かつての彼はエベレストやヒマラヤという名前にこだわってばかりいましたが、今では、名前や高さに関わらず、「そこに山があるから登る」ようになったのだと感じました。
涙の復活優勝を挙げた丸山選手と、私は再び固い握手を交わしました。ああ、いい優勝だったな。そう思えた昼下がりでした。
文/舩越園子(ゴルフジャーナリスト)