一流選手とはどういう選手のことなのでしょうか。もちろん実績や実力が評価のベースになることは間違いありませんが、ただゴルフが上手いだけでは本当の一流選手とは言えません。今回は、真の男気を感じさせてくれたあるプレーヤーのお話です。
マスターズでハウスキャディを使い続けたクレンショーの気持ち
1993年に渡米した私が、初めて取材したマスターズは1995年の大会でした。
その大会は、まだスタンフォード大学に通うアマチュアだったタイガー・ウッズが初めて出場したマスターズだったため、開幕前の注目はウッズに集まっていましたが、サンデー・アフタヌーンに勝利を掴んだのは、アメリカ人のベテラン選手、ベン・クレンショーでした。
72ホール目。ウィニングパットを沈めたクレンショーは、自分自身が成し遂げたマスターズ2勝目という快挙に自ら恐れおののき、そのまま頭を抱えるような格好でグリーン上にうずくまり、しばらく動けなくなりました。そのクレンショーを優しく抱きかかえるようにして支えたのは、キャディのカール・ジャクソンでした。
ジャクソンは、クレンショーとともにツアーを転戦していた相棒キャディではなく、当時はマスターズの舞台であるオーガスタ・ナショナル所属のハウスキャディでした。その後、ジャクソンはマスターズだけではなく、アメリカツアーでも時々クレンショーのキャディを務めるようになりました。
単なる選手とキャディという関係性を超えた強い絆
2006年4月に開催されたマスターズは、3日目に雷雨に見舞われ、試合が一時中断されました。数時間後、雨が上がり、青空が広がり始めたので、私はメディアセンターから屋外へ出て、クラブハウスの方向へ歩いていきました。建物の周りでは、屋内でじっとしていられなくなった選手やキャディが大勢外に出て、立ち話をしていました。その人の波の合間を縫うように歩き回っていたら、突然、懐かしい2人に出くわしました。
1995年に自身2度目のマスターズを制したベン・クレンショーとキャディのカール・ジャクソン。「わー、お久しぶり」と声をかけると、キャディのジャクソンは静かに微笑み、しばらく闘病して、ようやく元気になったたことを明かしてくれました。
2000年に結腸ガンと診断されたジャクソンは、「家族に借金を背負わせたくない」と考え、高額な化学療法を諦めて、命の限界を静かに迎える覚悟をしたそうです。しかし、ボスのクレンショーから電話をもらい、「心配するな。すべて私に任せろ」と言ってもらって、泣き崩れたのだそうです。「私のことを本気で心配してくれる人がこの世の中にいることを知って、涙が止まらなくなりました」
1960年からオーガスタ・ナショナルのハウスキャディになったジャクソンにとって、この2006年大会は自身45回目のマスターズでした。元気になったジャクソンとともに挑んだクレンショーは、実に54歳にして予選通過を果たし、4日間、元気なプレーを披露しました。
クレンショーはジャクソンの助けでマスターズ2勝を挙げ、ジャクソンはクレンショーの助けで命を救われましたが、どっちがどっちを助けたという意識は2人には無かったのだと思います。
「私たちは2人でパズルを解いている。パズルのピースを1つ1つ、正しい位置にはめ込んでいる。それがゴルフであり、それが生きるということでしょう?」
そんなクレンショーのささやきに、胸がじんとしました。
文/舩越園子(ゴルフジャーナリスト)