馬場咲希が巣立った「多摩キッズ」 生みの親と育ての親が全貌を語る【小川朗のゴルフ深堀り!】

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馬場咲希(前列中央)と多摩キッズのメンバー。藤井誠さん(後列中央)、村本達也さん(後列右端)も笑顔 写真提供:藤井誠さん

馬場咲希が全米女子アマで優勝を飾り、ブレイクすると同時に注目を集めたのが「多摩キッズ」の存在。その起点は17年前、米軍横田基地の管理施設である多摩ヒルズゴルフコースで始まった小学生向けのゴルフ教室に行きつく。しかしその全貌については、意外に知られていない。そこで「多摩キッズ」の生みの親である藤井誠さん(ザ・プレミアムバックステージGM)と、ボランティアとして子供たちを指導してきた“育ての親”である村本達也さんに、じっくりお話をうかがった。(4回シリーズのその1)

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きっかけは米軍関係者からのアドバイスだった

 多摩キッズの始まりは、当時多摩ヒルズのヘッドプロを務めていた藤井誠さんが、米軍関係者から地域貢献のため、地元の子供たちへのレッスンを勧められたことからだった。

 これを受けて藤井さんは2005年4月、地元の自治体である多摩市に対し、小学生向けのゴルフ教室の開催への協力を打診。多摩市が広報で募集することとし、保護者との協働事業として開催する方向で準備が進められた。

 3か月の準備期間を経て、7月2日に第1回を開催。毎週土曜日に地元の小学生10人が参加し、2時間のゴルフのレッスンをひとりが3回受けられるプログラムとして進んでいく。

 「わたしの師匠で沖縄米軍の相談役だったジミー主和津(シュワツ)さんから、『米軍基地で仕事するなら、司令官が喜ぶから地域貢献をしたほうがいい。地域の子供たちにゴルフを教えてあげなさい』とアドバイスされたんです。2000年にここで働き始めた時にも1度提案して実現しなかったものが、5年たってようやく実現したんです」(藤井さん)

ジミー主和津さん(左)と藤井さん 写真提供:藤井誠さん

 ジュニア用のゴルフクラブは、ナイキが多摩キッズに長さの違うものを4セットずつ、計12セットを寄付。当初は藤井さんと、ボランティアで多摩市の職員がサポート役を務めた。その後、稲城市からも同様の要請を受け、行われるようにもなる。

 藤井さんはジュニアたちを指導するにあたり、「できるだけ早い時期に」という前提で、①子供に本物の芝の上に置いたボールを打つ感触を味わってもらい、②良いゴルフスイングとその球筋を見てもらい、③ゴルフのマナーを身に着けてもらいたい、という3つのテーマを掲げていた。 

オリジナリティ溢れる練習メニューでジュニアたちの興味を刺激

多摩キッズのトレーニングはランニングが基本 写真提供:藤井誠さん

 練習メニューはまずあいさつから。アメリカ人には英語であいさつが基本。次にランニング、球拾いと続いた。

 打席でのピッチング、ミドルアイアン、ドライバーを使った練習に入る。5打席が解放され、1打席を2人で使用。藤井さんとともに子どもたちを指導していた、上田友子プロの練習を見学する機会も設けられた。

 “かご入れゲーム”と呼ばれる練習法もあった。

 5人のチームを作り、一定の時間内に1人が1球ずつ打って、10ヤードほど離れたかごにどれだけ入れることができるかを競う。

 「それまでまともに打てなかった子供が、友人たちの応援で自然に打てるようになるから不思議」(藤井さん)。

 さらに、キックベースボールをゴルフに置き換えたゲームを藤井さんは考案。ホームベースにサッカーボールの代わりであるテニスボールを置き、ゴルフクラブで打っていく。練習打席でゴルフボールを空振りしていた子供が、テニスボールでセンター前ヒット、ということもよくあったという。ゲーム性を取り入れることで、飽きのこない内容にする工夫も施されていたわけだ。

多摩キッズの多彩なトレーニングは子供たちに飽きる暇を与えなかった 写真提供:藤井誠さん

 最後はパッティング練習をしてから1番ホールをラウンド。3人程度のチームを作り、スクランブル方式(セカンドショットからは一番いい場所にあるボールを選択し、そこから全員が打っていく方法)でホールアウトまで頑張る。500ヤードのホールを自らキャディバックを担いで回るのは、小学生にはかなりの労力だ。

 毎週土曜日のみ、2時間のレッスンが3回で終了。だが子供たちは3週間、ジュニア用のクラブを家に持ち帰り、自由に使うことができる。ほかの練習場にも行くことも可能で、家の中でパターの練習もできた。

文/小川 朗(日本ゴルフジャーナリスト協会会長)

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