世界で最も人気のあるプロゴルファーと言えば、やはりタイガー・ウッズが最初に浮かびます。今回は、そのウッズのライバルとして、一時期激しく競い合った選手のお話です。
タイガー・ウッズと世界ナンバー1の座を激しく競い合った男
タイガー・ウッズの往年のライバルといえば、アメリカの国民的スター、フィル・ミケルソンですが、その昔、ほんの数年間でしたが、ウッズと世界ナンバー1の座を激しく競い合った選手がいました。
それは、デビッド・デュバルという名のアメリカ人選手。ウッズがプロ転向したのは1996年でしたが、デュバルはその翌年の1997年にアメリカツアーで初優勝を挙げ、一気にスターダムを駆け上がりました。
そして、1999年にはウッズを押しのけて、ついに世界ランキング1位になり、15週間、王座に君臨しました。
そのころ、デュバルは来日して日本ツアーの試合にも出場したため、当時は日本の大勢のゴルフファンが試合会場に詰め寄せ、みな興奮しながらデュバルに見入っていました。
そんなデュバルがイギリスの名門、ロイヤル・リザムで開催された2001年の全英オープンを制したことは、世間では当然の流れのように思われていたのかもしれません。しかし、後になって振り返ってみると、あの全英オープン優勝は、まるで消えかけたロウソクの最後の光みたいなものだったと思えるのです。
“メジャー無冠の実力者”という称号の返上と引き換えに訪れた深刻なスランプ
2000年ごろから、デュバルはひどい腰痛に襲われ、痛みは首や肩、腕へと広がっていました。リザムで戦ったときは満身創痍。「最悪のスイングだった」と彼自身が認めるほど不調だったのですが、その不調を小技で補い切って彼が勝利したことは、まさに「リザムの奇跡」でした。
しかし、奇跡が起こって以後、デュバルは優勝とは無縁になり、深刻なスランプへ陥りました。
スランプになった原因は、表向きには体のあちらこちらの故障やスイング改造とされていましたが、不調を引き起こした最大の原因は、大学時代からの恋人と別れることになってしまった失恋による心のダメージだと私は感じていました。
失恋した直後のデュバルは、試合の最終日の終盤、あと2、3ホールでフィニッシュだというところで、突然激しい腹痛を訴えて試合を棄権し、トイレに駆け込んだこともありました。
彼の父親は、当時シニアのツアーで戦っていたボブ・デュバルという選手で、私はボブとも親しかったのですが、そのボブは、「私の息子は心が傷ついている。気持ちの上で立ち直るまでには時間がかかりそうだ」と心配していました。
ところが、それから数年後、デュバルが結婚したと知って驚きました。彼は、もがいていた日々の中で新しい恋に落ちて結婚し、いきなり3児の父親になっていました。
「僕の人生のプライオリティはゴルフから家族に変わりました」。そう言って笑ったデュバルの表情は、かつてウッズと競い合っていたころには見たことも想像したこともなかったほど穏やかでした。
その後、ゴルフの調子が戻らずシード落ちしたデュバルは、選手生活に早々に別れを告げて、テレビ中継の解説者へ転向しました。無口だった彼が饒舌に語る姿からは、彼の私生活や人生が充実していることが感じ取れました。
40歳になった2012年ごろ、デュバルは自分の黄金時代を振り返り、「僕は昔は生き急いでいた」と言いました。彼がそう言える日が来てくれて、良かったなと思いました。
文/舩越園子(ゴルフジャーナリスト)