2009年の全米オープン。予選2日間で4位に浮上しながら、決勝ラウンドで後退した矢野東選手のパフォーマンスに対してゴルフ雑誌に書いた私の記事に関する、前回の続きのお話です。
矢野東の可能性を誰よりも知っていたから書いた記事
「矢野の4位浮上は天候に恵まれたラッキーの産物だった」と書いた記事は矢野選手本人の目にも触れ、彼は自身のブログで「全米オープンはじめましての矢野東にとっては強烈だった」と記していました。
彼のブログには大勢の矢野ファンが上げた、私に対する批判の声も寄せられていました。
「舩越園子は厳しすぎる」、「舩越園子はアメリカ生活が長すぎて日本人の優しさを忘れてしまったんだ」などと書かれており、もちろん私はびっくりしました。
まだ矢野選手が駆け出しプロだったころ、私は彼のフロリダ合宿を取材したことがありました。
仲間たちと寝食をともにする宿舎の片隅で、彼は小さなダンベルを私にこっそり見せて、「みんなが寝ている間に鍛えるんです。誰よりも強くなりたいから」と小声で言いました。
記者は本気で選手と向き合っている
真っ直ぐに上だけを見つめていたあのときの彼の眼差しは、ずっと私の記憶の中にありました。
だからこそ、早く世界に出て強くなってほしい。一時の健闘を讃えるより、さらなる前進と結果を求めたい。そう思って、私はあえて苦言を呈したのですが、そんな願いを矢野選手や彼のファンにもっと伝えたくて、私は今度は新聞の連載コラムで、こう記しました。
「初出場で一時は4位、『大健闘だったね』と書けば、波風が立たないが、そのかわり生まれるものもない。書き手にも意志があり意図がある。それがなければ書き手は『見ざる、聞かざる、書かざる』だ」。
そうしたいという意志があるからこそ、矢野選手を見て聞いて書いたのだと私は伝えました。
私の想いは矢野選手には伝わってくれたようで、彼はブログの最後にこう記していました。
「僕の中に燃え上がる何かをくれました……この悔しさを糧にして、また僕は強くなりたい」。
このフレーズを読んだとき、私は手厳しい記事を書いて良かったと思いました。
文/舩越園子(ゴルフジャーナリスト)