世界を魅了する日本人選手のお辞儀【舩越園子 ゴルフの泉】

  • URLをコピーしました!
2002年バイロン・ネルソン・クラシックを制しお辞儀をした丸山茂樹選手 写真:Getty Images

2021年、松山英樹選手のマスターズ優勝が決まったあと、彼のバッグを担いでいた早藤将太キャディが18番グリーン上でフェアウエイ方向に向かってお辞儀をしたことが、海外でも日本でも大きな話題になりました。今回は、私が経験した日本人による2つのお辞儀についてのお話です。

INDEX

お辞儀は日本人の習慣であり感謝のあらわし

2021年マスターズで優勝した松山英樹選手(右)と早藤将太キャディ 写真:Getty Images

 アメリカでは、優勝した選手のキャディが戦利品として18番のピンフラッグの旗の部分を持ち帰る習慣があり、早藤キャディはその習慣通り、ピンフラッグをまず抜いて、旗の部分を外し、そして竿の部分をカップに立てて戻したのですが、そのあと、フェアウエイ方向に向き直り、帽子を取って一礼しました。

 ピンフラッグを持ち帰るキャディの姿は、いわば当たり前ですが、お辞儀をするキャディの姿はきわめて珍しく、とりわけマスターズでは、松山選手が日本人初、アジア人初のチャンピオンになったわけですから、きっとこれまでのマスターズで優勝してお辞儀した選手やキャディは誰もいなかったのだと思います。

米ツアーで見た初めてのお辞儀は丸山茂樹

 マスターズを含めたアメリカのゴルフ界における日本人のお辞儀の歴史を振り返ってみると、私の記憶の限りでは、私が米国に拠点を置いていた25年間で、わずか2例しかなかったと思います。

 まず1つは、丸山茂樹が2002年のバイロン・ネルソン・クラシックを制し、米ツアー2勝目を挙げたときです。

筆者が米ツアーで初めて見た丸山茂樹選手のお辞儀 写真:Getty Images

 TPCフォーシーズンの18番グリーンでウイニングパットを沈めた丸山は、両手を挙げてガッツポーズを取ると、その直後にフェアウエイ方向へ向き直り、深々とお辞儀をしました。

 そのころ私は在米10年目を迎えようとしていましたが、アメリカの大地の上で、アメリカのPGAツアーの試合会場の究極の場面で、日本人によるおごそかなお辞儀を目にすることがあるとは思ってもおらず、だから私は、あのとき、丸山選手のお辞儀の姿に見入ってしまいました。

 勇んでアメリカに来たものの、1年目は勝てなかった丸山選手は、2年目に初優勝を挙げましたが、強豪選手がいない弱小フィールドだったから勝てたなどと陰口を叩かれて苦しみました。そんな苦悩を乗り越えて2勝目を挙げたあのとき、丸山選手は「ありがとう」の気持ちから、自然にお辞儀をしたように感じられました。

 そして、私がアメリカで見た2つ目のお辞儀は、2011年マスターズの表彰式で目にしたお辞儀でした。

 お辞儀をしたのは、そう、アマチュアの最優秀賞であるローアマを獲得した当時大学生のアマチュア、松山英樹でした。

2011年マスターズでローアマを獲得した松山英樹選手(右) 写真:Getty Images

 日曜日の夕暮れどき、マスターズの表彰式に出席した初の日本人となった松山選手は、立派なスピーチを披露する代わりに、深々とお辞儀をしたのです。彼のお辞儀は、とても丁寧で、とてもゆったりとしたスピードで、その動作の1つ1つから「何もかも初めてでしたが、がんばりました」「チャンスをくれてありがとうございます」というメッセージが伝わってくるような、そういうお辞儀でした。

 あれから10年後、その松山がマスターズで優勝し、彼のキャディのお辞儀が大きな話題になったことは、もはや神様か女神さまか天使さまか誰かの引き合わせだったのだと、そう思わずにはいられません。

 ほぼ20年前の丸山のお辞儀も、10年前の松山のお辞儀も、早藤キャディのお辞儀も、自然に湧き出た「ありがとう」の気持ちのままに行なったナチュラルなお辞儀だったからこそ、その気持ちが世界に伝わったのだろうと私は思っています。

文/舩越園子(ゴルフジャーナリスト)

この記事が気に入ったら
いいねしてね!

LET’S SHARE
  • URLをコピーしました!
INDEX